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会員コラム

多民族国家ミャンマーとキリスト教

2015-08-31
ヤンゴンのアングリカンチャーチの大聖堂

ヤンゴンのアングリカンチャーチの大聖堂

★足元が固まった民主化路線と経済発展
 このところ毎日と言っていいほど全国紙にミャンマーに関する記事を目にする。2011年以降テイン・セイン大統領が進めてきている民主化路線のもと、社会・経済発展が間違いないものと諸外国が注目している証座であろう。最近のIMFレポートで2015年3月までの年間実質GDP上昇率が8.5%と述べられている。客観的に見ても、私の同国滞在中の主観としても、ミャンマーの民主化と経済発展は澱みなく進むであろう。

★今年11月に大統領選挙
 既に報じられているように、本年11月8日に大統領選挙が行われる。選挙の仕組みは7月定例会における私の発表資料をご参照願いたいが、アウンサン・スーチー一派と軍部がうまく折り合いをつけるであろう。多少のいざこざはあろうが現在の路線がひっくり返ることはないものと見られている。しかしながら、万が一問題が起きるとすれば、それは少数民族問題の取り扱いを大きく間違えたときであると思う。

★ミャンマーの歴史は多民族の複合的歴史
ミャンマーには135もの民族がいる。国民の7割近くがビルマ族であり、シャン族、カレン族、ラカイン族など2百万人を超えるそれぞれの民族がそれぞれの州を統治しており、少数の民族はそれぞれまた、東、西、北の国境地帯に住んでいる。
 民族問題は政治の重要課題である。国の名前を「ビルマ」から「ミャンマー」に変えたことこそが、民族問題が国家としての根本的課題であることの表れである。「我々はビルマ族の国ではない、すべての部族の統合的国家なのだ」、という宣言である。

★ミャンマーにおけるキリスト教伝播の過程
 少数民族にはキリスト教徒が多い。全国民の5%と、90%を占める仏教徒に比べれば数は少ないが、地域的に集中しているところがある。因みに、イスラム教徒も全国民の4%近く存在する。
 ミャンマー地域に初めてキリスト教を伝道したのは米国バプティスト派の宣教師であった。私はミャンマーにおけるキリスト教徒誕生は英国の植民地統治と関係するのかと思っていたが、非ビルマ民族地域にキリスト教を紹介し、広めていったのは19世紀前半の米国バプティスト教会(プロテスタント)であり、英国国教(聖公会)が進出するのはインド統治にミャンマー地域を併合した1852年以降である。インドではすでにヒンドゥー教が国民の宗教として深く根付いていたので国教会の宣教師はミャンマー地域を伝道の場とした。英国が植民地とした地域の部族に宣教を行っていったのである。英国本国政府も、強い仏教信心を持ったビルマ族に植民地政策として、他の多くの部族を対抗させる目的も持ってキリスト教宣教を後押しした。しかしながら、仏教は非ビルマ族のほか、大きな部族の中には強く浸透していたので、キリスト教徒となったのは国境地帯の少数多民族がほとんどであった。
 ミャンマー政府は過去には仏教徒を優遇したが、現在は信教による差別政策は存在しない。民主化、経済発展とともに部族伝来の土地を離れて都市部に活動の場を求め、少数民族それぞれが移動、交流する時代となった。軍事政権が鎖国政策を敷いていた時代も外国からの宣教師は入国していたので、キリスト教徒の中にはグローバルな知識、民主的考えを持つものが多い。黄金のパゴダが国中そこここに林立しており、観光の目玉として目が注がれるが、ミャンマーにはキリスト教会も沢山あり、日曜日にはあちこちの教会で美しい聖歌・讃美歌が響き渡っている。

★民族間抗争は難民を生む
 現在でも多民族相互間で武力抗争も時々起きている。戦争孤児が未だに生じており、仏教寺院、キリスト教会が大勢引き取って養育している。今問題となっているロヒンギャ族は宗教的にはイスラム教徒である。源流は西パキスタンであり現在のバングラデシュとは相いれない民族的、歴史的因縁があり、ミャンマー政府が簡単に救助の手を差し出せない理由が存在する。それぞれの民族への関わり方が非常に難しい点がミャンマー政府のアキレス腱なのである。

アローズ・アソシエイツ代表 矢野 峻行