個人主義と集団主義〜ホーチミン子供の登校

異文化を一面の現象だけで理解していることはないだろうか?

※日本の集団登校は昭和30年代に始まったと言われています。特徴は登校に親が付き添わない事。集団登校が始まる前も親が子供を学校に連れて行くことは稀で、親が連れて行くと過保護と言われました。

エピソード:ホーチミン子供の登校

HCMC(ホーチミンシティ)の朝はオートバイラッシュ(最近は徐々に車が増加)で始まります。都心部は比較的広い歩道が整備されており、歩いている人は少ない。場所によってはその歩道にもオートバイが乗り上げて走っています。日本でみられるような子供の集団登校のような風景は全くありません。子供は全員親が送り迎えをします。しかも高校生までそのような習慣があります。従って、下校時も子どもを迎えるラッシュが起きます。さて、この違いは文化の違いでしょうか?文化の違いだとしたら、個人主義と集団主義と言う次元で論じることが出来るでしょうか。その場合の個人主義と集団主義を定義する内容に違和感はないでしょうか。あるいは別の次元、例えば男性性と女性性でしょうか。

※日本の集団登下校とは、主に小学校において、児童が一定以上の規模の集団となって一緒に通学路を登校・下校(登下校)すること。登下校時の児童の安全を確保する目的で行われます。広く導入されるに至ったのは交通戦争と呼ばれた昭和30年代以降であり、歩道やガードレールの整備が追い付かない社会情勢下で交通安全上の配慮から導入されてきました。また、児童を狙った犯罪(身代金目的誘拐や性犯罪)から児童を保護する目的で導入する学校も増えています。

個人主義か集団主義かと言う文化を論じる場合、集団登校は一見集団主義に見えるかもしれません。しかし、集団登校も目的は登校までの通学路における安全であり、たまたま同一地区に居住地があるための集団です。そしてその居住地の各家庭は核家族が多く、それほど結びつきが強いわけではありません。次にその児童たちが学校で受ける教育はどのようなものでしょうか。個人主義的社会の学校教育は「生徒は授業中に個人として発言することが求められる」が、集団主義的者社会では「生徒は集団から認められた時のみ授業中に発言する」(ホフステード「多文化世界」原書第3版 P111)と記載されています。これを考えると、日本は集団主義であり、ベトナムは典型的な個人主義と言えます。ベトナム人の学生は質疑応答の時間になると競って挙手をして、指名を受けると、待ってましたとばかり自己主張を始めます。ホフステードのスコアではベトナムの個人主義指標17点、日本45点(P93)(日本の方が個人主義的)であり、果たしてそのスコアは正しいのか、違和感を覚えます。

ではホフステードの評点ではなぜベトナムの個人主義指標は低いのでしょうか。例えば、ベトナムの職場では日本以上に社員旅行を歓迎するとか、大学でも卒業式は学芸会のようなノリで出し物を自主的に考えてグループで練習して実施します。(ホフステードの研究の元になっている)IBMの社員はそういう面をとらえて個人主義スコアを低くしていないでしょうか。(P86参照)

中小企業診断士 松村正之

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